熊本地震の際には温かいご支援をいただきありがとうございました。皆様の応援のおかげで無事に自宅を修復することができました。
今後とも南阿蘇村と野中ファミリーを宜しくお願い申し上げます。

野中ファミリーの美味しい世界

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NonakaFamily History

 

気がつけばもう30年目
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南阿蘇移住27年目になりました。2020.1.30

 
 
 「なんかテレビにでてくるような人がこの村にもきとるとばい。」と好奇の目で見られたのが、今から26年前のこと。若いのに田舎暮しをしにくる夫婦なんてテレビのバラエティーにでてくるぐらいで、よもや我が村に来るとは、という感じでみられたものだ。
 
 今でこそ、自給自足とか、スローライフとか当たり前に言われ、雑誌がたくさん本屋に並んでいるが、ほんの10数年前までは、まだまだ自然農法とか無農薬野菜とかはごく限られた興味の有る人しか知らない時代で、田舎によそから来る人は訳ありか、宗教かという感じで、ご多分にもれず僕らも例のカルト教団の一員に違いないとおもわれること度々だった。最近になり、息子のおかげで、PTAとか地域の仕事を引き受けているから、一応怪しいレッテルははずされつつあるが、それまではなにせ自由気ままな自給くらしなので、昼間から犬と息子をひきつれて散歩をしていると、どこかの金持ちの息子か新興宗教の教祖ということにされてしまうのだった。
 
 そりゃもちろん、田舎のおばあちゃんへ裏民宿でお布施で生きてるなんて言った日にゃ、もう翌日には立派な教祖さまですぜ。まぁ今考えれば僕も若かったというか何と言うか、ストレートに言い過ぎたなぁと思うわけだが・・・・トホホ。
 
 しかしながらこんな偏見も今だから笑い話だけれど、まだ住む家さえも見つからない時にはホントに参った。阿蘇はO教団のおかげで他所者はまず疑えと言う感じだったから、役場でもどこでもずいぶんとタライまわしにされた。しかもこちらはそんなこと露とも思ってないものだからなおさら訳がわからん。ようやくの思いで派出所に駆け込み、身分を説明して地元の農業委員を紹介してもらう、(役場では当時、農業委員は出張でおらんといわれた。)そして複数いるらしい農業委員の一人を訪ね、そこでひたすら夢と田畑と住処の必要性を語って数時間。それでも収穫ナシと思いきや、一週間後、それまで住んでいた博多のマンションを引き払う3日前、すでにロングバンで移動たこ焼き屋をしながら夫婦で家探しの田舎めぐりをする覚悟を決めていたときに連絡をいただき、今のこの家を紹介してもらえたのだった。それからは本当に農耕水利の神社の横に建つこの家に導かれるままに不思議不思議の連続だった。
 
 自然生えの稲にはじめての米作りを教わり、それまでの効率一辺倒で売り上げゲームでしかなかった外食経営の世界では感じたこともなかったような豊かさと本物の味に出会った。そして自然農法を入り口に無農薬栽培や生命の循環に気付くと、おもしろいように次から次に展開がでてきた。村議会へ無謀な立候補ー記録的落選(笑)、祖母の癌看護、自然出産による息子の誕生、自然育児から教育問題への興味。裏民宿からひろがった各地への講演や料理教室...そして長男から10年ぶりに長女里歩の出産。
 
 2003年、移転立ち退き騒動があり、本当にたくさんの方々に支援していただいた。マイナスのどん底によっしゃー次は海だぜー。とばかりに一時は長崎の五島列島最北端の小島に移住を決意した時期もあったが、奇跡的な出来事のおかげで急展開、家主の気がかわり無事この家を譲ってもらうことができた。
 
 2015年に長男は早くも大学生、熊本市内の九州学院高等学校で陸上のインターハイ選手として活躍後、これからもさらなる記録を目指してハードルを跳び続ける。自然食料理家としてさらに活動が広がる妻のかるべけいこは、どんなに忙しくなっても変わらず毎日台所に立ち、一人一人のために美味しい物作りをしている。ファーマー兼、写真家として相変わらずわがままに生かしていただいている僕は、ここ数年日テレ『アグリンの家』で日本全国の農家を撮影し、NHK『アリスの美味しい革命』ではアメリカ西海岸バークレーのカリスマ、アリス・ウォータースさんの写真撮影を担当させていただくなど貴重な経験をさせてもらっている。小6(現在中2)になる長女はお母さんの立派な助手で、料理に接客にと毎日笑顔しかないような明るい女の子だ。本当にあっという間の南阿蘇移住27年目だが、本当にこの地のエネルギーに運ばれているようでならない。
 
 きっと人にはそれぞれ与えられた役割と約束の場所があるのだなぁとつくづく思う。この家とともにこれからもたくさんのご縁を紡いでいきたいと思う。
 
 


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