熊本地震の際には温かいご支援をいただきありがとうございました。皆様の応援のおかげで無事に自宅を修復することができました。
今後とも南阿蘇村と野中ファミリーを宜しくお願い申し上げます。

野中ファミリーの美味しい世界

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NonakaFamily History

 

気がつけばもう30年目
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自分らしい農を見つける

 
 
 
 自然農法と言う言葉がようやく当たり前に通じるようになった。でもその中身はと問われるとよく分からないと言う方が多いのも事実。そこでちょっとお勉強。
 
 自然農法とは耕さず、無除草、無肥料、無農薬で自然に即して栽培する方法です。代表的なのは愛媛の伊予のみかん山で、自然農法を提唱しつつ「無の哲学」を世に出した福岡正信さんや世界救世教の岡田茂吉さん、その生き方が映画化され全国で自主上映会や田畑の勉強会が開かれている川口由一さんなど。今では一般化した琉球大の比嘉教授のEM菌などによる生ゴミ処理などは、もともとは世界救世教の自然農法グループから広がったものです。
 
 思想、具体的な技術は個人、団体によって様々、僕の場合は有機栽培と織り交ぜながら自然の力を最大限に引き出せるような方法で栽培している。あえて言うならば自分のインスピレーションを信じ、素直な自分で自然に向き合うこと。なんちゃって、単なるいいとこ取りなのだが。
 
 初めての農への興味は福岡さんや川口さんの自然農法の世界だった、しかしいざ自分が田舎へ移住して畑や田をつくろうとすると、なかなか思うようにはいかない・・実際、彼らは50年とか20年と言う月日をかけて取り組んで来られたわけで、同じことが一年目からできるわけない。同じ畑でもうちの畑と隣の畑、今まで耕作されてきた経緯によって地力も化学物質の残留度もちがう。子供だって性格いろいろ、それに合わせた環境つくりや育て方があるのと同じで、「耕さない、肥料を施さない」をベースにしつつも植える野菜、場所によって有機農業的に軽く耕したり、堆肥や微量の天然肥料を加えたりすることで格段に生育がよくなったりする。適所、適作、と適時に最小限の手出しをしてあげることが大切だと日々気づかされるのだ。
 
 持っている機械は歩行型の古い耕耘機一台と草刈り機。いまだに田植え機もコンバインも持ってない。なんにも使わないのが自然にも体にも一番だが、さすがにヤワな現代人には辛い。年に数回しか使わないが、いざと言うとき役に立つし、燃料消費もごくごくわずかなもの。ここ数年は雑誌「九州の食卓」のイベントで皆が田植え体験に来てくれるので
とても助かっている。
 
 プロセスは大切だけれど、こだわりすぎると大意を見失ってしまう。そんな意味では自然農法という思想より、自然体の農的ライフを大事にしたい。自然の恵みに感謝して、自然に対する思いやりをもちながら、楽しく食べたいものを作ること。旬を楽しむ。それが一番。自分のこだわりが反映される売り方で理解ある消費者に支えてもらえれば、こんなに素敵なことはありません。土付きで多少の虫くいがあったり(もちろん土が生きてくれば虫食いも少ないのですが。)、大きさが不揃いでも自然のエネルギーの詰まった野菜の味や良さを理解してくれる人とのコミュニケーションは人生の大切な宝になります。
 
 僕は百姓だけでなく、イベントやらコンサートプロデュースやら写真やらとにかく色んな事に手を出すのが好きなタチだから、自分や子どもが食べ、妻にとっては最高の素材である野菜たちは、ハンパ百姓なりに以外なコミュニケーションツールとして活躍してくれている。
 
 ところで畑で美味しい野菜が採れるのはいいのだが、いろんな悩みもつきものだ。なかでも動物の問題が一番。収穫真近の最高の状態のものを根こそぎ持っていかれた日にゃ、泣きたいなんてもんじゃない。
 
 我が村では猿の被害が深刻。重いホダ木を山に運び、3年ほど懸けてようやくできた椎茸を根こそぎ食べていったり、大根はかじって捨てていく。人参など甘いものはひとたまりもない。、カボチャを両脇に抱えていく様は笑いたくても笑えない。時には作物に施した米ぬか肥料等まで器用に穴を掘って食べていく。
 
 自然を壊し、針葉樹ばかり植林して生態系を壊したしっぺ返しとは言え、なにしろ苦労して作った野菜を盗まれるのでは農民の意欲はなくなるのは当たり前です。そんな中、大半の人は電気柵や網を張り巡らせて作業するようになったのですが、せっかく阿蘇に来たのに檻のなかで作業するのもなぁ。でもこのままでは...。もう27年も前の夏のことだ。まだロクな収入もないのに、その年に植えた貴重な夏の稼ぎである茄子が捕られてししまったのだ。猿は普通茄子科はあまりとらないのだが、僕が当時植えた茄子は水茄子といってデリケートで甘いのだ。朝収穫にいって蔕しかない風景を見るのは断腸の思いだった。
 
 ある朝、実のない畑に立ちすくみ僕は叫んだ。「おい猿!盗ってもいいぞ。でも10日後に来い。」と。これは決して冗談ではなく真剣勝負だった。食料をかけた僕と猿との。さて翌日から猿は、しばらくなりを潜めていた。10日後にいくと茄子が無い。次の瞬間私は思わず叫んでいました。「猿。ありがとう!」勿論「2週間後に来い」と付け加えて。この日以来、この年は茄子畑には猿は来なくなった。もちろん奇跡なんかではなく、たんに秋になりおいしい栗が出来はじめたからだとおもうけど......
 
 今でも忘れ得ぬ不思議な夏の出来事だった。

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